江戸時代の横浜の中心地「神奈川」復活を模索する【その①】

こんにちは

夏を思わせる暑さがあったかと思えば、肌寒い日もあり、
何をきたら良いのか出かける前に悩む、今日この頃です。

先週末の品川宿・浅草三社ツアーから1週間、
しぇあひるずへの来客の対応、4月にグランドオープンした
多世代多文化交流型スペース「CASACO」への訪問。
そしてモクチン企画の新事業のキックオフなど
盛りだくさんの日々を送ってます

(ちょいとひと呼吸おいて、インプットした情報を整理中・・・・)


▼「神奈川」と言われてピンとくるか?

いろんな方とお会いしてお話するたびに、
相変わらずの「神奈川」の認知度の低さを痛感するワケですが、

前回のブラタモリ 「#38 ~横浜の秘密は“ハマ”にあり!? ~」
の番組の中では、結構なボリュームで神奈川が紹介されていました。
公式ブラブラ足跡マップ
http://www.nhk.or.jp/buratamori/map/list38/route3.html

江戸時代、神奈川は全国各地の船が集まる重要な湊であり、
最盛期の神奈川宿には旅籠など1300軒以上の建物があったこと。

幕末の米国は、中心地の神奈川の開港を要求していたが、
街道と湊の要所を開くのはリスク有と幕府が判断したため、
浜辺の「横浜村」をムリくり「神奈川」でくくったこと。
それでも、1859年以降、神奈川宿の寺社に各国の領事館が開設されたこと。

などなど思いのほか充実した内容。

幸ケ谷公園や本覚寺、金比羅神社、料亭田中家さんなどのロケで、
地元民からしてもツボを心得ているなと思う一方、
「そろそろ違う視点ができないものか?」
というムズムズした思いもあります。

例えば、幸ケ谷は鉄道工事の要で、本覚寺はアメリカ領事館だったという紹介がありますが、
それだけで神奈川に足を運ぶ人は、タモリみたいに古地図を見ながらニヤニヤしちゃう
完全な「歴史ヲタク」ですよ(僕もそういう部類の人間ですがw)

田中家さんも、江戸時代から料亭をやっていて、言わば神奈川宿の「顔」なんですが、
テレビで紹介されたからと言って、翌日に行列ができるような雰囲気はありません。

もっと言うと、どこか地方から友人が訪ねてきて、
ぜひ、神奈川エリアの店に連れって欲しいと言われても、頭ん中の候補に出てこないんです。
神奈川宿の「顔」なのにです。

番組中、ナビゲーター(横浜市歴史博物館)の小林さんが、
タモリに「富嶽三十六景・神奈川沖浪裏」をパネルを見せながら、
「ここ(金比羅神社・神奈川湊)が舞台です。」という説明をしてるのですが、
ふらりと訪れた人からすると、ナビゲーターもいないし、パネルもないから分からないんですよ。

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かつての東海道沿いには「横浜駅至近」を掲げる、何の個性もないマンションと駐車場。

ゆっくり気軽に食事ができる店もなければ、世界に誇る日本の名画の舞台だと知る術もない。
また会いたいと思う人もいない。。

これが、宿場の記憶が衰退した「神奈川」の21世紀の現実です。

もの凄くもったいないと思いませんか?

冒頭にふれた、品川宿、浅草花川戸エリア、多世代多文化交流型スペース「CASACO」を
連続して訪れているのは、ちゃんと理由があります。

その②では、それらのエリアで得たヒントをまとめて紹介します

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この記事へのコメント

  • 台町の住民

    テレビに出て行列する料亭なんてあるんですかねぇ。(笑)
    そもそも単価の高いお店は良く考えてから行くんじゃないですか?
    定食屋とかラーメン屋じゃないんですから、一緒に考えるのは失礼だと思います。

    田中家の常連ですが、最近は予約がとりにくくなってますよ。
    ご近所さんなのですから、ご挨拶に伺ったら良いのでは。
    老婆心ながら書き込みをしてみました。

    創業初期は非常にきっついと思いますが、ご商売繁盛をお祈り申し上げます。がんばってくださいね。
    2016年11月02日 22:31